世界ドリブンな私という生き方
2015/04/23
昨日書いたことを反芻している。
時代は戻らない。
これからやるべきは、その体験の仕方、生活から子どもたちへ接触する瞬間の化学反応の起こし方を考えざるを得ない。今や時間は奪い合いなのだ。それは子どもたちも同じである。昔より限られてしまった時間の中で、ぐいっと心のなかに入っていく。そんなインパクトのある出会いが必要になってくるだろう。
ウメハラダイゴは言った
戦術や戦略も常に変化、進化させる必要がある。昨日よりも今日。どんどん新鮮なものを取り入れて、古いものを次々と刷新するべきだ
そして思うのは、自分が変化しなくても世界は変わっていくという事だし、それについていくというよりは、その変化を生み出す側にいたいよねという事だったりする。
今日見てて、あ、やっぱりこれは時代が違うなと思ったことが一つある。それはYouTubeだ。今更かよと思わずに聞いてほしい。(ニコ動でも一緒だと思う)
改めて思ったのは、人の視線の存在である。誰かが見てるんだぜという環境は、インターネッツのおかげで、色んな所で発生しうるのだ。20年前だったら、自分の書いた絵を100人に見せようとすると結構苦労した。今は簡単なのである。インフラは偉大だ。
この時代のギャップはきっと、人格形成に影響する。
歌をうたうならストリートライブというゆず世代な僕とは、今を生きる子たちは違う世界を生きている。見てもらえる人数は何十倍にもなっているし、それを自らのプロデュースで増やすことすら出来るのだ。これは刺激的だなと、そう思う。
今日、とあるコミュニティを見ていたら、高校生が「あるキーワードでYouTubeを探してくれれば動画アップしてるから」とか言っていた。暇だったので見てみたらまあ上手ではないか。努力の結晶を、自らそうやって発信する事が出来るというのは、昔はなかったよなと思った訳ですよ。中学時代の友達がギターうまいんだぜっていうのは、ライブで見ないと見られなかった。今はそういう時代じゃない。
この、身の回りに溢れていく「Live」というもの。それがあるから故突出したものが出てくるという事もあれば、それに慣れちゃって埋没しちゃうという事もあるのだろうと思うが、僕はその日常からイノベーションがうまれる方に動かしていければ面白いなと、そう思うわけです。
だって、世界の目がアナタを見ているというThe Worldを自分で作ることが出来るんです。刺激的な環境は、手を伸ばせば届くところにある。劇的な変化だと思うし、羨ましいです。楽しんでほしい。
10年後はきっと、全く違うことで「ニュータイプキタコレ!」とか思っているんだと思いますが、僕自身それを楽しめる人間でいたいなと、心底思う私でありましたとさ。
リリースでたよ
第二回:おもろふしぎラボ 「カズとカタチはおともだち」