軸足を置く位置を間違っては生き残れない世の中-ものづくりの定義とは何か-
ファブレス、という言葉をご存知だろうか。Wikipediaにはこうある
ファブレス(fabless)とは、その名の通りfab(fabrication facility、つまり「工場」)を持たない会社のこと。工場を所有せずに製造業としての活動を行う企業を指す造語およびビジネスモデルである。
ものづくりを行う企業の一つの形だ。
これはものづくり企業と言えるだろうか?いわゆる町工場という形とは明確に違う。自社に工場を持たないという事は自らの手を動かさないという事だ。そういった企業はものづくり企業だろうか?違う?
従来のものづくり企業の在り方は自社工場に設備を持ち、様々なものを作り出すというものが主流だった。人足と機械の稼働率を上げる事により生産量が増えたし、コストダウンも行うことが出来た。技術的には単純なものから高度なものまで様々だ。設備投資資金を持つ企業のみが徐々に機械設備を最新式に刷新し、より高度で付加価値のあるものを作ることが出来るようになる。当然、それが時代を先行し、潮流に合っている企業には、単価の高い仕事が集まる。
日本のものづくりはレベルが高いと言われ続けてきた。しかし、昨今では国内にあった仕事が海外の人件費が安い地域に流れていき、かつてのビジネス形態から抜け出せない企業は生き残りが厳しくなっている。なぜだろうか。
コストダウンを迫られるのはどんな職業だろうか
町工場を見ていると、まあシンプルな仕事が結構ある。使用する機械も古いもので、技術はさほど必要が無いようなものだ。
一方で、印刷業のようなものはというと、機械が遥かに高度化され、データを作る事はユーザー側で出来るようになってきている。インクのノリを判断するという事は今はまだ必要かもしれないが、インクのキャリブレーションだってちょっと学べば何とかなってしまうような時代がまもなくやってくるだろう。(もう来てるかもしれないが)こういう機械主導型の生産業は、価格勝負になってしまうのだ。しかたがないだろう。
人間がやらざるを得ない、技術的に機械では出来ないという世界では、職人に頼らざるを得ない。
逆に、それがない場合に発注者側が考える事は「コスト計算と納期」だ。いわゆる、誰がやっても同じクオリティが出るというものは、人件費が高い地域から低い地域へ流れる。これは止められない。発注側も古い体質だったりすると、こういうコストダウンに関心が無く、近場の人脈で解消しようとするのだが、それは結果的に自社の競争力を落とすし、その立ち位置に安穏としていたらいつまで生きていけるかはわからない。全てはつながっている。
日本でやらなければならない事を見間違えるな
ここから10年、20年先も生き残っていくことを考えるのであれば、日本国内でやるべきことを見誤ってはいけない。
「誰でもできることを国内でやっちゃだめなんだよ。僕らはモノが想定するクオリティで出来るというものづくりビジネスをやっている。実際にものを作る場所はどこでもいいんだ。」という話を聞いた。輸送コストが劇的に下がり、ものづくりは地球全体がフィールドになってしまった。どこで作るという事に意味は無い。意味を持つのは「自分たちが作りたいものが、想定された形で作り上げられる」環境を握ることである。
今の日本の職人たちは、良い技術の目利きが出来る。何が良くて何がダメかは見ればわかるのだ。実際に自分が作ってきたから。これはジャパニーズクオリティを担保してきたものだし、世界に誇れるノウハウなのだ。この人達が持つスキルを使ってビジネスをする。海外の工場にたくさんのネットワークを持ち、良い物がわかる。ビジネスを通して信頼出来る相手なのかがわかっている。そうすることで、日本のものづくりが世界と戦えるレベルに維持することが出来るのだ。
工場は国内にある必要は無い。ものづくりに自信を持ち、確かなプロダクツを生むことが出来る。そのための土台を残して置かなければならない。
日本のものづくり企業の軸足はどこに置くべきだろうか。今まで作ってきたそれを作ることが出来るという自負に置くべきだろうか。溶接やさんなら溶接だけをやるべきだろうか。家具やさんは、ずっと家具を作っていれば良いと言えるだろうか。
どんなに素晴らしい技術だって、時代にそぐわなければ喰っていけない。文化には移り変わりがあり、それは情報量の増加とともに加速しているといえる。そういった時に、時代の流れに置いて行かれるとそこで技術や職人の仕事は消えてなくなってしまうのだ。一つのことに固執しすぎることは危険な道だ。
未来永劫喰っていくとまでは言わないが、孫の世代まで仕事を残していこうとするのであれば、時代を感じ、自らの付加価値でその次代のお金を引っ張ってこようとするならどんなことが出来るかを問い、チャレンジし続ける。そういった姿勢じゃないと、生き残ってはいけないのだろうと思う。
リバネスの軸足は「サイエンス」だ。サイエンティストがサイエンスを軸にどんな事が出来るかを日々考え、チャレンジし、成功させる。(もちろん失敗するものも多い)ただ、そこには変化が付随するし、変化していかないと仕事が取れない。そんなことは肌で感じているからどんどんやっている。
逆に、仕事は口を開けていればどんどんやってきたんだよという時代しかしらないような職業の場合、そこからのマインドの転換が難しい。やったことが無いから。
「ものづくり」という世界に軸足をおき、それをどんな考え方で展開してきたのかという点で、非常に面白い人と出会ったのだが、それは僕の中で革命的な出会いだったと言える。
自分たちがよって立つコアはどこにあるのか。軸足をどこに置くべきなのか。そこを見誤ってはいけない。柔軟に在る事が出来る場所はどこにあるか。それが見えていないと、何をやっていても厳しくなる時期はやってくるのだろう。