「職人気質」という言葉で距離を置いてきたのではないだろうか

   

町工場ネタです。

墨田区内の製造業者の8割程度の調査を終えました。今はデータ分析をしている真っ最中です。

どこの地域も同じ傾向があるとは思いますが、国内の製造業というのは高齢化と事業の縮小が進んでいます。モノづくりは人件費の安い海外へ出ていき、国内でやることとそうではないことが二極化しています。

当然のように、国内でやっても採算が合わない様なものは仕事が減っていき、やがては事業体が消滅していきます。それに伴い、モノづくりが出来る人達が国内にいなくなってしまうのではないだろうか?というのが危機感の現れですね。でもこの資本主義社会において、儲けを考えるとこの流れはどうしようもないのです。利潤を稼ぎながら、モノづくりの技術を温存する。果たしてそれが可能でしょうか。

町工場から聞こえてくる「仕事が無い」という言葉

学生時代にベンチャー企業を立ち上げたという視点から見れば、仕事は作るものだろ!と強烈に思うのですが、町工場は長い間仕事はやってくるものとして活動を行ってきました。

景気が良くなれば仕事が増えるし、そうでなければ仕事が減っていく。そういうものだったのです。

右肩上がりの時代はこれでも喰っていけました。仕事が減ると言っても致命的なところまではいかないからです。でも、今は違う。

致命傷になるくらい仕事が減っているのです。そして、致命傷になるまでそれに気付きませんでした。(もちろん全部ではありませんが、町工場の多くがそういう状態です)

ビジネスモデルは変わったのだ

祭りは終わった。みたいな感じですが、そういうことなのです。今、世界を支配している会社は、モノづくりを自分たちでやってはいません。Appleがファブレスなのは有名な話です。自分たちが欲しい物を、作れそうなところに外注します。徹底的にコストを下げて。だから大きな利潤を稼げる。

しかし、それだけではありません。Appleは有望な工場には大きな投資をかけ、世界に先駆けたデバイスを安価で手に入れるのです。

その辺の波に乗ったのが台湾のfoxconnです。

日本の町工場はどうでしょうか?その多くは、大企業の下請けを行っていきました。先程も言ったように、元請けから仕事はやってくるものだったのです。そういう時代を生きてきたのが町工場でした。

今回調査をしてみて大きな違和感を感じたのはここです。特に墨田区という地域で言えば、新規事業を創出するという事を実行している率は10%に満たないという結果が出ています。(n=2092)

逆に言えば、90%の製造業者は時代のなすがままだったと言えるような気がします。

変わっていくビジネスモデルの中で、元請けに近い事業者が利潤を稼ぎ、下請けである町工場の成長に協力するという仕組みがうまく回らなかったような印象をうけます。

職人気質という言葉の便利さ

こういう話をすると、職人さんだから難しいのかねぇ?とか想像したりします。

無言で、頑なに自分の技術を昇華させてきた彼らに「職人気質」という便利な言葉を与え、本人たちもそこに甘んじていたのかもしれません。

誰も彼らに時代の流れを教えてこなかった。職人気質な人だからね。なんていう感じで。

日本のモノづくりが死にかけているのは、この言葉を壁にして、発注者たちがものを作る人達と一緒に未来を作ろうとしなかったからなのではないでしょうか。

そんな事を考えていると、一つ似た事例が思い浮かびました。橋下大阪市長とやりあった、能ですね。
補助金がないと生きていけなくなったのは何故か考えるべきだ。みたいな話だったと思いますが、同じ構造があるような気がします。
町工場は、企業体ですから、強力な業界団体で一丸となってという訳にもいかず、能に比べれば長い歴史があるわけでも無い。そう考えれば、事は能より深刻なはずなんですよね。

生き残るには、事業者のマインドチェンジも必須だと言えるはずです。

(*注 文中のデータには間違いはないのですが、その他の部分に関しては著者の想像も大いに含んでおります)

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