インターネットが与えてくれたもの

   

今朝、先日作ったベーコンの話を満を持して投下した。

【燻製生活】ベーコン作ってみた【所要日数10日】

そもそもなんでこんな事書いてるのだろう?とふと皿洗いしてて思ったので通勤途中に書いてる。

情報を受け取る時代は当たり前になった
その垣根をもっとも下げたのはTwitterを筆頭とするソーシャルネットワークサービスの普及。発信のコストはゼロに等しくなった。
情報が溢れる時代。なんて一時期よく聞いたけど、そんなの当たり前過ぎて誰も気にしてない。

入ってくる情報が増えるに従って、当たり前が増えた。でも、それって本当に当たり前なのかな?自分でやってみた人ってどれくらいいるのかな?

前述したように、発信のコストは下がった。ベーコンの記事だって、WordPressってCMSが簡単にアップできるようにしてくれてるから、昔みたいに写真は全部整形して、とかやらなくて済むし、TwitterやらFacebookに連携してるから色んなところに手軽に発信できる。
発信者は、伝えたいんだよ!がモチベーションになってたりするから、まぁ気楽なもんだ。

インターネットが与えてくれたもの。それは、チャンスだ。
昔だったら流通しえなかった情報、どんなくだらない情報ですら流してくれる。
情報というのは、選択肢だ。
無から有を生むことはもしかしたら可能かもしれないが、有を知っていることで出来ることの幅は確実に広がっていく。

インターネットが与えてくれたもの。それは、一歩目の階段だ。
そこにある情報は、あなたの行動の一助となるだろう。踏み出すだけで何かが出来る状態にすらなっているかもしれない。

情報は受け取る時代から、それを使う時代へと移ってきている。
ただ知っているのと、実際やってみたのでは、雲泥の差だ。薄っぺらい情報は誰もが持っているし、それじゃ差別化できない。
溢れる情報の中から、何かを促す仕組みを作るというのは、尊いことだなぁと思う。ベーコンを作ってみるというのは、相当にハードルが高い気がするが、あの香りや味は文字で伝えるのは難しい。だから、やってみてよ、面白いから、と次からは僕は言える。

非常に今更感あるけど、クックパッドのつくレポという仕組みは秀逸だ。レシピを作ってみた、見てよ!みたいな流れで、レシピにたいしてコミットする人数を増やしていくのだ。やってみた、の人数の最大化は面白いチャレンジだと思う。

リバネスで置き換えれば、実験レシピ投稿サイトを作って、やってみたが投稿できる。小さい子から大きなお友達まで、色んな実験レシピを投稿して、それで楽しんでる。みたいな仕組みだろう。(今の仕事がひと段落したらやろうかな)

人間はどんどん退屈になっていくだろう。頭でっかちになっていけばいくほどそうだと思う。そんな退屈しゆく人類が戻ってくるのは、やってみるという事だ。
初めからマイスターになれるわけなんてない。情報(レシピ)があっても、同じように出来る訳は無いのだ。
アクションを促すという仕組み作りをするというのは、面白い領域だと思う。

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