教育というもの。

   

個人的に教育周りの話題がホットだ。

Ridilover Social IssueConferenc(R-SIC:アールシック)に出てきた。
こんなセッションがあった。

<Session2>
教育事業のアプローチの多様化: IT 教育からキャリア教育まで
「世界的な大規模オンライン講座の登場」「大学の秋入学とギャップイヤー」「プログラミング学習のニーズ増加」といった変化の潮流と「中高生の自己肯定感の低下」「教育機会の格差」などといった教育現場に生じる新たな課題。こうした中新しい「教育」事業はどこに向かうのか。課題設定からアプローチまで、今後のトレンドを探ります。

何が良い教育か。僕の考えはこうだ。

教育が与えるものは何か。それは選択肢。自らの力で何かを選びとる事が出来る人を育てるという事が教育の本質じゃないかと思っている。
詰め込み教育だろうが、ゆとり教育だろうが、教育によって与えられるものが選択肢として機能しないのであれば意味が無い。
最たる例は英語かな。分かってても使えないのでは意味が無い。
読みこなせれば良かった時代は終わり、英語をツールとして使ってコミュニケーションや発信を行う事が出来るといるレベルが現代の英語力だろう。
今の教育は子供たちに選択肢を提供できているだろうか。
きっとみんながモヤモヤするのはそういう部分なのだろう。

教育によって、様々な選択肢が視野に入るようになる。そうあるべきかなと思う。

リバネスを立ち上げた当時は、新聞に「理科離れ」の4文字が踊り、僕らは結構焦ったのを覚えている。
初期の僕らはバイオの領域の人間が多いのだが、彼らには苦い思いがある。
「遺伝子組換え」という言葉は、その中身を理解されること無く、なんとなく悪いものとして世の中に広まっていってしまった。
中身の理解を伴わない言葉の拡散は有害だと感じていたのだと思う。なんとしても一石を投じなければと思った。

サイエンスというものは、知的好奇心に根ざすものだと思っている。
受験勉強でその芽を育むことが出来ないというのであれば、俺達がかわりにサイエンスの超絶面白い部分を見せてやるよ。
そんな風に思って活動していた。

そんな僕らは、
・「理系に進学する」という事を検討するという道を与えた
・世界は学校の授業のように分かっている事以外の事が多いこと。大人だって知らないことがある事を教えた
・わからないもの、世界で誰もしらないことを追求する事の楽しさを伝えた

これによって与えられる選択肢は何も研究者になるという事だけではない。
そこにある未知なものを探求するという事が許されるのだという気付きは、世界を広げるはずだ。

新しい教育

このセッションでは、僕らも応援しているライフイズテックをはじめとして、色んなアプローチが披露された。
わざわざ今ある基礎的な教育を否定する必要も実はそんなに無い。
基本的な計算だったり、知的活動をするために必要な土台は詰め込みで息をするように使いこなせるようにしたらいいのだ。
その土台の上に立ち、色んな方向に子供たちを導いていくことが出来る。そんなフェーズに入ったのだと思う。
すべての子供達が同じ勉強をする必要なんて無いと思う。
基礎力+発展の発展の部分の選択肢が多様であって良いのだと思う。

きっと、ここに来ている人たちが目指しているのは、より良い選択肢の提供だ。
子供たちは成長の手段としての選択肢を自らつかみとり、より興味のあるベクトルへ進んでいけば良い。

帰り際にライフイズテックの水野君と話をしたが、そういう発展の機会だって、実際は毎日でものめり込んでやるような生徒じゃないと伸びてはいかない。
ただ、今まではなかった機会を提供し、万に一人でもイノベーティブな人材が生まれれば世界は変わる可能性があるのだ。

教育に関わりたいと思っている人は、そういう世界を変えたい感が大きいような気がする。
「教育を変えたい」と言葉にはするけど、実際はその先に到達する為に教育を変えたいのだろう。

行動は素早く、そして継続的に

ティーチフォージャパンの松田さんと、末永く突き進みましょう。
長いスパンで考え、今から行動しましょうという話をした。
教育は一日にしてならず。しかし今日から始まる。
途中で今まで引いた軌跡が途切れることはあってはならない。
そうなってしまった瞬間、今までやってきた教育活動は社会のノイズになりかねないから。

腰を据え、未来を考え、実行し続ける。
世界が変わるというのは、一人を変えることから始まるのだ。10年続けた後のパワーを僕らは知っている。
前向きに+1を続けられる組織でいたいなと思った次第です。はい。

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