行き詰まる思考法、突き抜ける思考法
文章を書くのに行き詰まりました。@geeorgeyですこんばんは。
とは言え寝るのにはまだ時間があるので、自分で決めたテーマで発散するのです。
明日は、リバネスのインターンシップ生向けに講演をするのですが、その中でも出てくる話。
10年前の僕は行き詰っていた
リバネスを立ち上げたのは、僕が大学四年生の頃(2002年)。
理系の大学生・大学院生だけで立ち上げたこの会社は「バイオ教育のリバネス」と銘打ち、バイオの教育で喰っていこうとしていた。
と言っても、初年度は学生のみだったし、社員が入ったのは立ち上げて暫く経ってからだ。何故って、中々喰っていくって大変だからです。初期のリバネスはほとんどが学生だからやって行けたんですね。
毎週会議の後、家に帰るまでに「このままじゃダメだ、何とかしなくては・・・」と気は焦るものの、形には中々なりませんでした。良いアイデアも出てこないんですね。
転機がやって来る
実はその後リバネスは「バイオ教育のリバネス」から「最先端科学のリバネス」へと転換します。
僕の中での転機はここでした。
バイオも教育も外しました。その頃の中心的なビジネスは教育がほとんどだったにも関わらずです。
同じような頃に、リバネスが目指すものを制定しています「科学技術の発展と地球貢献を実現する」。これが社是です。何か言っているようでもあるし、何も言っていないようでもある。僕にとってはそれが重要でした。
何が変わったのだろう
初期のリバネスで僕がハマったのは行き詰まる思考法でした。
バイオ教育で日本の教育を変える。決まっていたのはそれだけです。幸いなことに、バイオ教育と、民間企業が教育現場に入っていくという事については新規性があり話題になったので生きながらえることが出来たのですが、この時代の僕はリバネスでやっていけるとは全く思えなかったのです。そもそも門外漢であるバイオと、教員免許も持っていない教育現場で、日本の教育を変えていく。出来ないことは無いのですが、手段が限定されすぎました。
やるべき事は「理科教育を変えていく」という事であり(リバネスは理科離れという言葉を何とかしようと立ち上がっています)バイオ教育に固執する必要なんて一ミリも無かった。極端に閉じた世界で戦おうとしていたのです。
最先端科学のリバネスで変わったこと
変わったばかりの頃は気付いていませんでしたが、今となって振り返ってみるとあれは画期的な転換だったと思います。
揺るぎないことは私達がサイエンティストであるという事であり、そんな我々ができる事で科学技術の発展を促進していこう。ということになりました。
変化を図示するとこんな感じです
バイオ教育のリバネス概念図
最先端科学のリバネス概念図
僕らはバイオと教育にこだわらなくなりました。僕にとってはこれが大きかったのです。
もちろん、バイオ教育のリバネスでもある程度行けたのかもしれません。そこに専念したほうが教育事業単品で言えば伸びたかもしれません。ただ、僕にとってはバイオ教育では世界が広がらなかった。行き詰まってしまった。
好きなことを仕事にするなと誰かが言った
ある意味正解で、ある意味不正解だと思う。
好きなことで起業するな。が正解で、好きなことを仕事にするのは無くはないかなと思う(技能的に替えが効かなければ喰っていけるから)。
好きなことを起業のネタにすると、事業の替えが効かなくなってしまう。会社というものは、何かを解決するために生まれるものだ(と思っている)
その何かは、時代によって解決のアプローチは変わってくる可能性が高い。
自分が好きな技能、得意な技をネタに起業すると、そのアプローチが廃れた時に何も出来なくなってしまう。
解決すべき何かは、時代によって解決のされ方が変わってくる。国によって変わってくる。性別によって変わってくる。などなど、アプローチは様々であって良いのだ。それを知っていると、脳みその使い方が変わってくる。
突き抜けるためには、自分のスキルだけでは限界があるはずだ。(一部の業界を除く)
解決すべき何かを解決するための手段をいくらでも繰り出すことが出来、その中の万に一つが突き抜ける。それが現実だろう。その為には、アプローチをいくらでも思いつく思考法が必要になってくる。
突き抜ける思考法とは、目的と手段を取り違えないこと。ってオチがありふれた言葉になってしまったが、こんな言葉昔からあるのに全然ハラオチしないんだよね。学生の頃は目的って何で、手段ってなんだっけ?とかそんなレベルで理解できてなかった気がする。
やるべき事は何か。大事なのはそこであり、それを解決するための手段は何でも良いのだ。
少なくとも僕はこう思うに至ってから自由になり、自由が故の発想を現実にするために脳みそを動かしている。
突き抜けるために必要なのは、思考が止まらない自分を見つける事である。