年始の抱負は特に無かった
2015年は年末年始で家族みんなでインフルエンザに倒れ、体調がすぐれない日々を過ごしてしまった @geeorgey 私ですが、今年の年始は大きく変わった事が一つある。それは「今年の抱負」をやめたことだ。
まぁ体調悪かったからやらなかったというのも要因としてはあるのだけど、特に抱負は考えなかった。
2014年は、我ながら苦悩したというか、悶々としたというか、主に仕事面の事ではあるのだけれど、新しく実装する事がスタッフ全員に波及する事であり、且つ走りながら実装していくもんだからやってみて、フィードバックを自分で取りに行き、なる早で修正するとかいうことをとにかく繰り返した一年だった。
そういうことをやっていると、常にCPUは100%で回っていて、メモリも100%喰ってる(実際には人生全体でそれはまずいので80%程度にしてるけど)感じになっていて、何かが終わってメモリが空いた所に次にやりたいことを積んでいって処理するみたいな感じで、色んな事を並列に走らせながらなるべく効率の良いスタックしないような段取りを付けて駆け抜けるみたいな感じになる。
多分今までもそうだったんだけど、2014年は自分の処理フローみたいなものをビシバシ感じた気がしたんだよね。
それで、2014年の振り返りはブログに書いたんだけど、2015年はこうだ!みたいなものについては書かなかったのには理由がある。
自分がやっていることは別にカレンダーで区切られてないって事。
2014年は、年の途中からやるべきことを設定出来たし、それをトラッキングしてアウトプットするみたいな事も出来たと思う。
そして昨年やっていたことで年内に終わってない事ももちろんあるし、それは2015年で終わらないことかもしれないしとか、年という単位で終わってないこともあるようになってきてる。
インスタントに出来る事、ちょっと時間がかかること、色々あって、それでいて一言今年はこれ!っていうのは、今の自分には何か違うなって気がした。結果としてこれなんだけど。
今日は久しぶりに出社。 気合いは特別入ってない。 今までも入っていたし、これからも入り続けるだろうという事だけが分かっていればそれで十分。 もう何年も言ってる事だけど、今年も目標は継続で決まりです。続けられない事で大きな事は成せない。
— 吉田丈治→ResQue (@geeorgey) 2015, 1月 3
抱負というものは、表明しただけでは何も成せない。そして年始の抱負なんてものは習慣みたいなものというか、それを表明することに慣れきっていてもはや忘れることに躊躇いのない人の方が多いだろう。
これをやるというタイミングは何も元旦だけじゃなくて良い。ちょっとしたことを言って、やって、成してみて。そんなことの連続で人生は積み上がっていくのである。
ここまで書いてわかったことは、抱負を年中言うようになったから、年始に言わなかったって事だった。
抱負(ほうふ). 心の内に抱いている、決意や目標