気に入った(必要)なら金を払え
僕の中では、そうしているという話。
なんでか
昨日、タイフェスに行って、代々木公園をぶらぶらしていたら、ヘブンアーティストな人が、演奏していてちょっと聴き入る。
僕がと言うより、連れて行った息子が気に入ったみたいで、食い入るように見ていたのが印象的だったのだけれど。
勝手に告知しとこう:音楽&写真は自転車に載せて Masahiro Tatematsu
何が凄いって、手作りの木琴で演奏するんだけど、この木琴が良い音するんだよなぁ。木の板を叩いているだけなのに、素晴らしい音色で演奏が終わった後にわざわざ確かめちゃったのだけど、本当に良かった。ということで投げ銭とCD買わせていただきました。寝る時に聞いたけど良いですね。
ちょっと前にTwitterで見かけたもの
種市高校の先生が言うには、潜水ヘルメットを作っていた職人さんが引退してしまって、新しいヘルメットの調達が非常に困難になっているんだとか。1個1個、銅板を叩いての手作りなんだそうです。ものづくりの後継者不足がこんなところにも影響している pic.twitter.com/AHO4cUKRyO
— 中野康宏 (@tasuyasu) 2015, 5月 13
こういう話は、過去に墨田区で町工場の調査をざざっとやっていた時に何度も遭遇していて決まって「何とか出来ないか?」と言われるのだけれども、大抵の場合はそういうことを相談される時点で死に体だったりしてなかなか厳しい物があるなと。
どうしてこうなったのだろう
必要とする人が少なくなっていったので、お金が回らなくなって行くのに誰も手を打たなかったという事に尽きる気がする。こういう現場にぶちあたった人も、今までの事とか知らない事もあるだろうから本気で困っているというパターンもあると思うのだけど、前任者や業界を呪うしかないだろう。
文化の承継なんかについても、税金で補助されているものなんかについては異を唱える人もいるし、そりゃ何でもかんでもにお金は突っ込めないので仕方ないよね。
お金が回らない所はいずれ消滅する運命にある
ということを前提に色んなものに触れてあげたほうが、ベターなんじゃないかと思う。フリーミアムモデルなんかもあるのだけど、そういうビジネスが当たり前ではないし、何かをやっている当事者がビジネスの才覚があるわけではないのだから、ビジネスモデル的にはレベルの低いことをやっていたとしてもちゃんとお金は回してあげないと滅びてしまう。
ビジネスモデル側が高度になり過ぎると、色んな事でお金を稼ぐというのも難しくなったりするような気がした。(もちろんそれを逆手に取って上手に稼ぐ人もいるのだけれど、確率的に言えば上手にビジネスが出来る才覚と、何かを行う才覚両者を持っている人は多くはないだろうから)
素晴らしいものだから皆で残さなくては!というのは僕にとってはしっくりこない。誰かが何かの責任を放棄している様な気がしてしまうから。
一番わかり易いのは、「気に入った(必要)なら金を払え」だと思う。
本当に必要になった時にそれが無くなっている(もしくは死にかけている)可能性があるのだから、その可能性を下げるのは今ここにあるお金なんじゃないのかなと、5月の夏日に思った。