「深く考えられる人」を産み出す為の環境づくり
こちらのエントリを読んだ。
決してうまい文章、美しい文章を書く必要はありません。自分の考えをまとめて、文章でアウトプットし続けることで、思考はどんどん深くなっていきます。
個人的には大いに共感する部分のあるエントリ。必ずしも文章である必要性があるかどうかについては難しい所だが、文章をアウトプットに置き換えれば合点がいく。
深く考えられる人がどのように生み出されていくのか。その近道とは何かについて言及しているのだけど、結論としては
文章量を増やすことが一番の近道ではないかな
と。アウトプット量を増やすことが一番の近道ではないかなというのは、ある。
アウトプット量が少ない人について察するのは面倒だ
仕事でも生活でもなんでもそうなのだろうと思うが、社会で生活している以上何らかのインタラクションの中で生きている。ブログ書いてるような人はそもそもTwitterでの発言が多かったりするし、興味の有りそうなことを手軽に発信していたりするので会話のきっかけを得るのは容易だ。
逆にアウトプット量が少ない人ではどうだろう。仕事上でも、一人で抱え込んでしまうような人について察するのは結構難しいところがあるし、アウトプット量が少ない事によって周りのカバー量が結果的に増えてしまう。アウトプットの無いスタイルは生産性を下げるんじゃないだろうか。
書くことの敷居を下げるという流れ
先日、知人からの紹介でdocbaseを知った。社内のコミュニケーションツールをslackに変えるというテストを行っているのだが、その流れの中で、Wikiの置き換えに良いですよという話しだった。
色々と調べていると、esa.ioというサービスもあったり、その流れで更に調べていると、サービスのポイントは
「書き留めるということの敷居を下げる」
ということのように見えた。
暗黙知を顕在化させ、それをさらに利用しやすい形で保存するという部分に注力したサービスであり、アウトプットの次の世界を見据えたサービスなんだなと関心した。
そして、このアプローチは、最初に載せた「深く考えられる人」を生み出すのに良いだろう。
そもそものアウトプットの敷居を下げなければ、文章なんて出てこないのだ。Twitterはブログに敷居の高さを感じていた人たちをものの見事に取り込んだ。これによって今まで無かったアウトプットがいくつも生まれたと思う。
仕事にTwitterは向かないと思うが、その手軽さはアウトプットする人を増やすという所にはなにがしかの寄与をするだろう。
最初は140文字しかなかったアウトプットも、段々と慣れていくことによって、誰かが受け止めてくれるようなそれなりの分量の資産になる。これが深く考えられる人なのだ。
おまけに昨今のツールはインタラクションも容易にする設計が成されている。今までのように一人でぽつーんと発信する必要なんて無い。
成長速度が相当変わるだろうなと思うとともに、こうやってアウトプット慣れしたニュータイプが、時代をどんどん変えていく世界が見えてきた。僕も負けちゃいられないということでエントリにしたためましたとさ、おしまい。