勉強と発信を同時に行うことの重要性について

   

「その勉強は何の役に立つのですか?」

良くある質問なので最初に持ってきてみたが、これに関係する話。

最近のもっぱらの仕事は

こんな感じで、技術的に良くわからない事を開拓しながら仕事しています。

仕事の効率を決めるのは何か

分からないことが対象なので、調べ物とトライ・アンド・エラーにかなりの時間を割いていますが、これがうまくいく時とうまくいかない時があります。

この差は何なのかというと、対象物に関するキーワードが頭のなかに浮かぶか否か、ということにまとめられます。

インターネットがこれだけ充実し、有料無料に関わらず情報へのアクセスはインターネット以前に比べ物にならないほど利便性が増しました。しかしそれでも、知っているか知らないかによって情報にアクセスできるか否かが決まってしまいます。

Twitterで流れてくるような話題が自分の直近の課題に直接役に立つということは稀で、降ってくる情報で何かをするというよりも、より緊急性の高い課題というものは自分から能動的に探しに行く必要が出てきてしまいます。

ここに結構課題があるよねという話。

それをノウハウというのだろうけども

知っている人は知っている基本的な情報であったとしても、門外漢から見たら辿りつけないという事も往々にしてあります。そんな時に教えてくれる人が隣にいれば早いのでしょうが、インターネットというものはなかなかに孤独であり、師匠不在で途方に暮れる人も少なからずいるのだろうなと。

Googleなんかはきっとそれに応えられるように日々チューニングをしているのだろうとは思うものの、情報量が多すぎて、選別するのはやはり人間側の負担になっている。

今後AIなんかによって、デジタル師匠みたいなのがどんどん生まれてきたりするのだろうか。でもそれって結局Googleの検索インターフェイスと同じになる気もするんだけど、入り口を絞ってしまえば雑多な情報の中から必要なものにのみフィルタして検索してくれたりすると効率が良いのだろうか。

現状の検索で、自分はプログラミング回りの事を検索することが多いのだけど、それほどノイジーな感じはしていないので、あとは情報提供者側の課題なのかもしれないなという気もしないではない。

キーワードを発信するということ

そんなこともあって、最近は良くわからない事は積極的にネット上のフォーラムで質問→解答もらう→やってみたら解決済みにする、という疑問から結論までの一連の流れをインターネットでアクセスできる場所に置いておく事を意識していたりする。

このブログにもちょっとしたコードを置いてあるのだけど、日々コピーしていく人がいるようだし。

キーワードを発信するということは記憶に残すということ

ここで最初に戻るのだけど、そうやってキーワードを発信するということは頭のなか(及び自分のタッチできるデジタル領域の中)に記憶を刻みこむということなのだと思う。

今は昔と違って無料で発信できるインフラなんていくらでもあるし、ちょっとしたお金を払って(なるべく未来永劫続きそうな会社を選ぶ必要があるが)そこにデジタルアーカイブを残しておくなんてこともできる。

勉強のスタイルも発信しながら勉強する事で、その発信に応えてくれる人や、情報を求めていた人に届くなんて事もあるのだろう。

ブログにまとめるということは僕は少なくとも好きでやっているし、昔書いたよなこれ…というものがあればGoogleで

キーワード site:geeorgey.com

で検索すればだいたい出てくるようになっていたりする。

頭のなかにキーワードがあるかどうかで時間的効率が全然違ってくるので、勉強と発信を同時に行っておくと良いんじゃないかなと最近思っています。(Twitterでも良いんだけどね、探しにくいんだよねというのはあるのでブログがいいんじゃないかな)

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