次世代の受験制度はこれしか無いでしょうよ
今週もお疲れさまでした。
あっという間に3月の第一週が終わろうとしています。皆さん、今週はいかがでしたか?
寒暖の差が激しく、春を予感させる一週間。
僕は、花粉症で目が真っ赤になるので、諦めて眼科に行きました。
すると先生が言うんです。
「去年は大丈夫だったんですね」って。
今年は花粉の量が、関東で去年の7倍だとか。今年が多いわけではなく、去年が少なかったんだなぁと思った1週間でした。
さて、今日は件の受験の話についてですね。
今回何が問題だったのか
まさかカンニングで逮捕とは…ニュースの方はあまり深追いしてないので、事件についての是非については触れませんが、聞きかじった程度で考えると、いくらなんでもそりゃやりすぎなんじゃないのというのが一般的な感情なんじゃないかなと思います。
今回の事件で一番問題だったのはなんだったのでしょう。
・カンニングをしていた事
・携帯電話を操作して不正をしようとしたこと
・ネットに助けを求めたこと
・相手が京大だったこと
まぁ、挙げれば霧きりがないとは思いますが、何が問題だったとしても、なぜこんなに大きな話になってしまったのかなと不思議に思うわけです。
カンニングなんて、やる人はやってるでしょう。ただそれだけのことなんじゃないかな。
ただ、ネット上にその証拠が挙がっている上に、みんなが騒ぎ立ててしまったら、処分せざるを得ない。だからした。
そんな流れにみえてしまいます。うーん…。
まぁ、事件の内容についてはおいておきましょう。
それとは別にですね、今日びっくりしたTweetを発見した訳です。それがこちら。
つまり
「中学生の息子は友人とノートをPDFにしてzipで送りあい情報共有をする。
寝落ち防止の為にSkypeで友人たちとつなぎ、勉強している。ということ」
from @ollec
もうね、時代が変わってると実感しました。僕の受験時代(12年前)と何もかもが違うんです。
感覚も勉強方法も変わってきている。
ましてや時代も変わり続けているのに、受験という仕組み自体はなにも変わらない訳ですね。
やっぱりそれはアンバランスなんじゃないかなぁ。
きっと先生もさほど変わっていないでしょう。
でも、大人たちが変われない間に、子どもたちはどんどん変容を遂げている。
恐らくですけど、こういう子どもたちは、僕の12年前とは頭の中が違うと思う。
思考レベルも何もかも。見えてる世界も違うんですよね。
デジタルネイティブという言葉が生まれたのは2006年だそうですが、今日これを実感しました。
今回の事件で悪だったのはなんだろうか
逮捕された彼ですか?
まぁ、不正だったかもしれませんが、悪だというには言い過ぎなきがします。
ましてや、彼が捕まっている中で、カンニングがバレてない受験生だっているでしょうから。
僕が思うに、悪はカンニングというものがチートに成りうる現在の受験制度こそが悪だろう、そう思うわけです。
カンニングにメリットがあるからダメなんだ。
カンニングのメリットを潰すにはどうしたら良いか?
現在の受験は、大抵が100点満点のテストでしょう。
答案に向き合うには十分な時間があり、それをじっくりと解くわけです。
現在の受験問題なんていうのは、答えのある問題が殆どです。ましてや時間が与えられている。
そりゃカンニングもしたくなりますよね。カンニングすれば答えがわかるんだもの。
カンニングのメリットを潰すというのは、カンニングという方法では受験に成功しないという状態になれば良い、それに尽きますね。じゃぁどうすればいいのか。
カンニングに必要とされる物はなにか
カンニングを実行する勇気
カンニングをするのに必要な時間を提供する意思
この二つです。
端的に言うと、時間がかかるってことです。
カンニングのメリットを潰すには、
時間をかけてまでチートするメリットを、まっとうに試験に向きあって回答する事が上回れば良いわけです。
こんな受験の方式で解決出来ないだろうか
もはや、受験の問題なんてどの大学も共通でいい。
ただ、兎にも角にもいろんな問題が出題される。ありとあらゆる分野からだ。
難易度が設定されていて、問題に対する点数は難易度に比例する。比例だと不公平かも。
問題数は無限。とにかくたくさん出題される。
試験は、何を使っても良い。インターネットも、友人も、先輩も、親も、天才的な受験指導者も、だれだっていい。
点数は、とにかく解いた人が累積で取得する。満点なんてない。ありえない。
そこで順位をつければ良い
カンニングなんかしてる暇はないんだ。わからなけりゃ、電話使ってでも誰かに助けを求めればいいかもしれないが、それでも問題を伝え、相手が考え、答案を出すまでにはとにかく時間がかかってしまう
そんな受験方式は駄目だろうか
大学以降に求められる力は高校までに求められるそれとは違う
僕は理系出身なので、そちらによってしまうが、大学以降に求められる力というのは、急にベクトルが変わると思っている。
高校までは、答えのあるものに対して取り組む。
大学以降はどうだろう。
答えなんてそもそも無い場合がほとんどだ。
研究をするのであれば、答えがあることなんて研究に値しない。だって答えがあるんだから。
つまり、未知の事に対峙することになる。
求められるのは、今持てるフルパワー+αの世界
100点満点なんてない世界で戦っていくのが人生です。
であれば、そういう人生に立ち向かえる人を育てるしかない。
カンニングなんてつまらないことで逮捕者出して、誰が喜ぶんだ。あの逮捕で得した人なんてだれもいない。
先の受験方式で必要となる力はこれだ
・インターネットを使いこなす力
・人脈
・誰がどの問題を解決することが得意なのかを把握できる適材適所能力
・パラレルで人を動かす力
・自分の学力
・コストパフォーマンスを瞬時に判断する能力
・等
携帯を会場に持ち込む是非が問題なのではなくて、携帯を持ち込んだらずるができてしまうことが問題なのだ。
そんなの全部解放してしまえばいい。(ここでは、インフラコストとかは無視する。いまどき携帯持ってませんというのも、一部はあるだろうから)<
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それがズル(チート)であるからダメなんだ。
なにもかも自由。課題はここにあるから、それを乗り越えてきなさい。乗り越えられた人は、次のステップに行くことが出来ますよ。
次のステップでは、今までやってきたような答えのあるような問題は出ません。
ここまで駆使してきた実力を持って、未知の課題に取り組みなさい。
そんなのが、次世代の受験なんじゃないかと思うんだけどな。
彼らの前にはすでにインターネットも、携帯電話も、メールも、ネットワークも何もかもがあるんだから。
最後に、資料が全公開されることによってどうなるかについての考察
国語
漢字問題とかなくなる。そもそもわからなけりゃ辞書ひきゃいいし、ワープロ機能がこれだけいろんなところで享受できるのに漢字覚える意味が分からない。最低限わかってればいいんじゃないの。
国語系の問題は全滅するかも。いろんな文章の意味を答えよ的なものは、出展が限られるのできっと答えはネット上に出回る。検索すれば一発だ。あんまり意味が無いな。
論述問題とか、思考問題とか。
検索だけでわからない部分をテストするのが国語力。そうなるな。
数学
ありとあらゆる問題のパターンに対して、数値を入力すれば答えが出てくるようなフォームがネット上に出回る。学生は、如何にしてそのフォームを探し当てるかのスピードで明暗が分かれる。これはつまり、答えへのアプローチ方法がわかってるということだ。頭に入ってないと検索に時間がかかってしまいロスが大きい。
まっとうに勉強してないと高得点は狙えない気がする。
理科
これも数学に似たパターンになる気がする。
社会:歴史
年号を覚えるとかそういうのがなくなる。そもそも正しいかわからんのに覚える必要性を僕は感じないのですが。
過去については、答案はすでに答えが用意されているものへのアプローチとなるため、従来の問題は殆ど死滅する。
それより、ここで織田信長はどうおもったか?みたいなモノを論述させるほうが面白いだろ絶対。独創性の高い答えを期待したほうがなにかの役に立つんじゃないかと思う。
英語
単語の意味みたいな問題は消え、和訳英訳問題にシフトするだろうな。
Google翻訳とかそういうのを使って、和訳英訳を行う感じになるとおもう。
物量勝負。とにかく数多くの問題を解かせて点数を競わせる。
4択問題とかでいいんじゃないかな。
適当にチェックして誤回答が多すぎるんだけど、回答数が多い場合には、まぐれ当たりの点数は凍結すれば良い。
頭の中に文法と単語が入ってないと、正答率が高いまま問題数をこなすことは不可能になる。
総括
文系に属するようなものについては、論述がキーになる。
理系に属するようなものは、解法が頭に入ってないと高得点は無理。
英語は理系よりな気がするね。
いかがだっただろうか。
採点が大変というのであれば、マークシートに落とし込めるように問題を作り上げれば良いだけだ。
各大学で別日程で受験なんてせず、全大学が自分の学校の名前で渾身の問題を作り上げ、全受験生が同時受験をすれば良い。
そうすれば何がいいかというと、チートが出来ない、どこで受験したっていいから会場コストがなくなる、ましてや試験管なんていらない、ネットで受験すれば良い経済的にもコストが軽くなるんじゃないかなと思うんだけどね。
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