寝る前に被災対応の宇都宮駅前チサンホテルへの謝意をまとめておく
3.11の地震発生時は宇都宮大学の農学部、2階の教室に居ました。
最初はFacebookにPost。直後に停電。
その後、iPhoneで動画撮影スタートした。
今見てみると、すごい揺れだ。カメラブレ過ぎてる。
この直後にWiMAXで地震情報を検索しようとしたらもう遮断されてました。
ちょっと落ち着いた隙に、全部の荷物を速やかにパッキングして教室を出ました。
教室を出ると、防火扉が閉まっていて、別世界で焦った。え?ここどこ!?ってなる。
あれは意識しておかないと駄目だなと感じた所。
焦りつつ、教室を出て広いところへ。しばらくは余震が続き、発生30分程度は全く通信が出来なかった。
ワンセグは比較的早い時間につながっていた。(ワンセグって電波で飛んでくる?なら通信状態はあんまり関係ないよね。だからだと思う)
その後、auの災害掲示板はアクセスが可能になり、もうしばらくしてSoftbankのパケットが復活したのでTwitterを見て状況を把握しようと思うも、確かな情報がまだ無い状態だった。
宇都宮大学では火災が発生。すぐに消防車がすっ飛んできたのは印象的だった。
宇都宮大学を出て宇都宮駅まで
発生90分後くらいだろうか、余震が落ち着いてきた事もあり、寒いので駅を目指す。
宇都宮駅の東側は停電していて、信号も止まっている。
落ち着いてきた人たちで車を持っている人は、軒並み移動を開始しているのだろう、道路は大渋滞だった。
徒歩側から見ると、小さな交差点はもう渡れないので諦めた。
災害時、停電している時に活躍するのは、警官が立って交通整備をしている大きな交差点のみだ。
警官が来る前はどうなってたのかが気になるが、大学から駅まで歩いてみた所、大きな事故が発生している感じは見受けられなかった。
40分程度かかり駅まで到着する。街は落ち着いていた。歩いている間に、あらゆる店は停電により営業停止していることを知る。
宇都宮駅に到着して
駅に到着すると、駅東側の餃子館のあたりにたくさんの人がたむろしている。
おおかた電車が止まっていて動けない人だろうと思って、とりあえず駅を目指す。
駅に入ろうとしたところ、警官がおり「宇都宮駅は危険なため封鎖しました」とアナウンスがある。まさか駅構内に入れないとは思わなかった。
外にあるトイレで用をたして少し考える。
トイレにて
手を洗おうとしたところ、自動で水が出るようになっている奴が反応しない。
あ…
停電すると、水道使えなくなるのかよ…これは盲点だった。
手は洗わずに退散する。
宇都宮駅東口から西口へ
以前余震が続いている。どうにもならないので、僕が泊まっているチサンホテル(西口にある)へ向かいましょうかといって男3人で西口へ到着。
停電は西口は大丈夫なのでは?という淡い期待を持って西口へ行くも、すぐに打ち破られる。
食べ物を確保したかったが、コンビニすら営業していなかったので諦める。
チサンホテルを見てみると
すでに宿泊客と見受けられる人たちが、ロビー付近にうろうろしている。
自動ドアは停電により手動で動かしていたが、入ってみるとロビー及び一階のカフェ部分が解放されており色んな人が椅子に座って待機していた。みんな呆然としていたが、しゃべっている人もちらほら。
ロビーは非常灯があるらしく、日がすでに落ちかけていたものの真っ暗ではなかった。
灯りがあるだけでホッとする。ましてや、風が来ないなんて素晴らしい。
チサンホテルに本気で感謝した。
チサンホテル2階も解放されていた
交通手段の復旧は絶望的だなという情報をどこからか得て、同行者2名も帰ることは諦めた。
さて、どうしようかなと思っていたところ、ホテル2階の会議室が解放されていた。
一階はドアの開け閉めがあると、若干ではあるが風が吹き抜ける。これが結構寒かった。
2階へ移動すると、若干のあたたかいお茶、パンとジャムが準備されていた。
あたたかい飲み物がこんなに助かる物だというのは、命に危険がなかった身でもものすごく感じた。
すでにここにはかなりの人が座っていた。
概ね静かにしている。ワンセグでテレビをみている人もいたな。
僕は、電源が限られる中、PCひらいてWiMAXでTBSのUstreamを広げる。映像付きで現状の認識をすることが出来たのはこの時初めてだった。
21時くらいだったかな、解放場所に館内放送経由でラジオが通る
やってくれないかなと思っていた。
結局、被災者たちは情報が無いのだ。何がどうなっているかわからない。
電話も通じないし、メールも届かない。
宇都宮ですらそんな感じだった。
今夜は少なくともここにいるしか無いと感じている人たちは情報に飢えていた。
いつまでここにいなきゃならないかをはかる方法がなかったんだよね。
そこでのラジオはとても助かったと思う。ただ、明るい情報や、局地的な具体的な情報もないので、実態を把握するには至らなかったのだが。
その後、同行者チームは解散し、一人になったのでホテルの部屋へ
車でお迎えが来たこともあり、東京チームは僕を除いて車に同乗して解散した。
同乗者数の限界だったし、僕は部屋があったから。
解散後10階まで徒歩でのぼる。依然として余震が続いていたのでとても心細かった。
部屋に入ってみると非常灯がついているので部屋は明るかった。
部屋に入って数分後、館内放送により、お湯がなくなったとの通達があった。
というか、そもそもお湯今まで使えてたのか!!と思ったけど。
電気がきていないので、テレビは見えない。しょうがないのでPCでUstreamを見る。一晩明ければ電気くらい戻るだろうとタカをくくっていたのだが…
寝る前に窓から外を見る。
10階から見ると、宇都宮駅の西側から東側が見えるのだ。
西側ちょっと行ったところのビルに灯りがついてる!!!
どうやら停電は東側と西口駅前付近のみかもしれないとここでちょっと思った。
翌朝4時
余震で目が覚める。
電気は…来ていない。どうにもならないので二度寝。
翌朝6時過ぎ
また目覚める。依然停電していた。テレビはつかない上にPCの電源は終わってしまったのでUstreamも見られない。
街を散策することを決める。とりあえず腹減ったのだよ。
まずは、自分の荷物をパッキング。手持ち荷物には、PC、水1L、WiMAX、iPhone
(残り30%とか)等最低限。衣服等、ホテルに戻ったときに使うであろう物については、全部スーツケースにしまった。靴も。そのまま地元に帰ることになっても、そのまま発送出来るようにしておけば、あとからホテルに電話して、適当にパッキングしてくださいとか煩わしいことにならないのでおすすめする。
(残り30%とか)等最低限。衣服等、ホテルに戻ったときに使うであろう物については、全部スーツケースにしまった。靴も。そのまま地元に帰ることになっても、そのまま発送出来るようにしておけば、あとからホテルに電話して、適当にパッキングしてくださいとか煩わしいことにならないのでおすすめする。
7時過ぎ
西側へ少し歩くと、100mいったところの信号は生きていた。電気がある!!
警官が歩いていたので、食糧確保したいのですが、どっかないですか?と聞くと、近所のampmを教えてくれた。警官グッジョブ。
ただ、たどり着いたら食料なかったけどね。
ampmの手前でホテルを発見。
ここもロビーを解放しているとともに、コンセントが生きていた。
早速充電させてもらう。助かりました。
しかし、おなかがすく
コンビニには何も無いしなと思っていたのだが、あれ…?レストランやってるじゃないの。しかもバイキングだなんて!!
ビジターでも1000円で食べて良いよとのことだったのでありがたく頂きました。
灯台下暗しすぎてチカラが抜けた。
テレビもついていたので、レストランで色んな情報に触れる。
この後、川崎まで帰ってくるんだけど、宇都宮ではこんな流れでした。
ホテル2社には本当にお世話になりました。ありがとうございました。
多くの人の助けになっていたと思います!!感謝!
チサン ホテル 宇都宮
ホテル ニューイタヤ
さぁ寝よう。
明日からまた頑張って働こう。おやすみなさい。