リバネスを10年やってきてみてわかったこと

別に偉そうなこと書く訳じゃないんですが、先日リバネスのクリスマスパーティーで色々と話しをしてみて、好評だった事があるので書いておこうかなと。
前のエントリにも書いたとおり僕自身はリバネスにコミットするようになって10年経ってないんだけど、まぁ誤差ということで。
二次会の最後、締めの挨拶は正直酔ってたとは思うんだけど、それでも実感としてあるのは
「ここにあるのが10年やってきた結果だった」
という事です。
別に僕だけが作ってきたものじゃないし、みんなで試行錯誤しながらやってきて、多くの人が関わって、人を育てて、失敗して、成功もして、形を残したり、残せなかったり、僕自身もいろいろある中でたどり着いた10年なのですが、今そこにある事実って凄いことだよなと僕は思いました。
10年経っても、ここにはインターン生というコミュニティが維持されているし、10年経ったらインターン生じゃない人たちのコミュニティも追加されてた。
そんな状況がリバネスの今です。面白いと思う。
ああ、それで10年経ってみてわかったことという話なんだけど、わかったことって何かないうと、組織を作り始めの人たちが不安に思う部分ってなんとなく見えるなということだったりします。
未来を見るのが怖い時代なのかも
現代ってそういう時代なんじゃないかなと思います。
右肩上がりの時代は終わり、真っ逆さまとは言いませんが、日本経済は緩やかに右肩下がりです。人口が減って行くんだからしょうがない。
戦後、そういう時代を生きてきた人はいない訳ですから、右肩上がりの時代を知らない我々は当然、前時代の人との会話には、理解出来ない溝があり、そして同じ時代を生きる人達が持っている漠然とした不安も、別に認めたくは無い訳です。そんなところに協調したくはない。
でも、自分自身で未来を見るのは、やっぱり怖い。
新しいことをやるという無邪気さ
これは、ないと行けないと思うんだけど、それでもちょっと足りないよねっていう人がいる気がするんです。
別にビジョンを語れとか言いませんけど、もったいないなというパターン。
初動の無邪気さって絶対必要で、それが物事を動かすので絶対に必要。
ただ、気になるのは、その目標が成功したら、その後に何が残るの?というパターン。
リバネスの目標って「科学技術の発展と、地球貢献を実現する」なんだけど、それってデカすぎるよね(僕は最近気に入ってる)
ゴールが近すぎる場合って、そのあとどうするんだろうなって正直心配になるのです。
そこから遠くを目指すというのも有りなのかもしれないけど、達成された先になってしまうと、きっと創業者同士の思惑も変わってしまうだろうし、進む方向について「音楽性が違うので解散」みたいなことになりかねないよなと。
こうなったら自分はどうなるだろうか?を問う
今向かっている方向はどこだろうか。
じゃぁそれを達成したらその時はどう考えるのだろうか。
自分が求めているのは、お金か?それ以外か。
その求めているものを手にした時に、自分はどうなるのだろうか。
がむしゃらにやっている初期というのは大事だろうなと思うけれど、一緒に立ち上げたメンバーがいるなら、そういうメンツで、将来の事についてもっと話をしておくというのは僕は有りだと思うんです。
ブレないということ
結局、そういう話をしておかないと、ブレてしまう。
いや、別にお金をここまで稼いだらあとは株式市場でバイアウトだぜ。という事を目標にするならそれでいいんだと思うんですよ。お金を稼ぐことは罪じゃない。
でも、それならそれで目標設定の方法ってあるなと思う。
お金じゃなくて志だ!と言う場合はどうだろうか。
そもそも志なんてどうでもよくて、楽しいから始めたんだ!なら?
最初はきっとそれでもやれる。
でも10年したら、そのままいけるかどうかは怪しいところだろうなと。思います。
行動がブレないようにするにはどうしたらよいのだろう。
ちゃんと目標を設定する事。それ以外に無いと思う。
その目標も、年々深めていけばいいんです。最初から全ては作れない。
僕らは、最初教育のみで立ち上がりました。
リバネスの枕詞は「バイオ教育のリバネス」だった。
その時、僕は、そんなに楽しくはなかったんですよね。しかも、それじゃダメだろと思ってた。
そういうメンバー(僕)を抱えながら、リバネスは改革をし続け、バイオ教育のリバネスから、今では最先端科学のリバネスという形に変化を遂げています。これは正直、楽しい。
なんで今があるか。それというのも、リバネスの取締役は考える事をやめないからなんだと思う。
僕らは100年後も続いている組織をつくろうとしているし、それに応えうる体制を整えたいなと思って毎日を過ごしています。
楽しいですよ。一緒に仕事、しませんか? (唐突)