強制(共生・矯正)オフライン

   

この記事は沖縄に行く飛行機の中で、Instapaperに溜まった情報をある程度読み終え、飽きちゃったので書いてる。
前置きが長くなったので、核心だけで良いよって人はここをクリック

僕はいわゆるソーシャルメディアというのが好きだ。

mixiに始まったソーシャルネットワーキングサービス、SNSからその付き合いが始まる訳だが、それ以前には限られた人だけが自分のサイトを作って何か書いていたり、ブログを書いたり、自分のサイトの掲示板でやり取りをしたり。とにかくその母数が限られていた。
SNSの隆盛によって与えられたのは、誰しもに発言の機会を与えたという事なんじゃないかと思う。だって、みんながやってるんだもの。ちょっと何か書いてみようかなっていう人はいたよね。

mixiは日記だったし、ブログは今も変わらないけど自分が考えていることをある程度まとめて発信する場だった。
そもそも文章を書くことが好きじゃない人にはハードルが高すぎたし、よっぽど好きじゃないと続かないと言うことは皆さん既にわかっていると思う。

それを変えたのがTwitterだ。
140文字しか書けないという制限は、本当に画期的だった。それまでは、こんなに書いても大丈夫なんです!というのが売りだったように思う。掲示板も文字数制限あったし。それを敢えて一桁落とした所を限界にすると、初心者であっても、ベテランであっても、同じ土俵に乗ることになる。それが今ウケている理由だろう。(本当はいろんな意味で同じ土俵には立てないのだが)

時を同じくして、インターネットは有線回線から無線回線へと移行する。もはやPCがなくてもネットに接続出来るし、それは場所を選ばないものへと変化した。
日本人は、二つの飛躍を同時に享受していると僕は思っている。

この二つが重なると何が起こるかというと、24時間365日、休むことなくいろんな情報が耳に入ってくる。
かつては、求めなければ手元に入って来なかったようなものが、Twitterを開けばそこにあるし、iPhoneがあれば通知がPushされるという、高校時代の僕が知ったら発狂しそうな時代が今ここにある。
ただ、最近思うことは、面白そうな情報というのは、余り貴重ではなくなったということ。
Twitterを見ていれば、面白いネタは何度もリバイバルするし、飛びつかなくても耳に入ってくる。逆に、新しいネタは大きな釣り針だったりするし、それを取捨選択する能力を育成すべきかどうかについては、ちょっと考えたほうがいいような気がしてきた。やり口は巧妙になっていくだろうし、釣られた事によって無垢な人が袋叩きにあったりするのを見ていると、なんとも生産性のないことにみんなが時間を注ぎ込んでいて、微妙な気持ちになるからだ。
その辺はやりたい人がやればいいし、ついていく必要なんてない。
一昔前と違って、情報が伝播する速度は爆発的に早くなっているし、ちょっと自分が早くネタを掴んだとしても、次の朝には誰もが知っていたりする事もなくはないからだ。
コンマ何秒をお金に変える、投資家みたいな業態ならまだしも、そうじゃない人がどれだけスピードにやっきになる必要があるのだろうか。
そして、そのスピード競争は、何も幸せに出来ないんじゃないかと僕の直感は言っている。

僕が今考えているのは、時間の使い方だ
ネットに繋がっていれば、いくらでも時間は過ぎていく。
仕事にメールは欠かせないし、携帯電話、Skypeがあれば音声通話はもとより動画通信だって出来る時代だ。
情報のインプットはとても大事だと僕は思っているが、ひと通りそういう事をやってみて思うのは、少し違う時間の使い方は出来ないものかと言うこと。

仕事柄、クリエイティブというか、新しいことを考えなければならない瞬間というのが実に多い。
リバネスの代表の丸は、フラッシュアイデアの鬼だ。人と会えばそこで新しいアイデアが溢れ出す、そんな人間だ。そしてそれが面白い。時に無茶苦茶ぶっ飛んでて手が出ない事もある。
僕はどちらかと言うと、そのフラッシュアイデアを拡張する部分に長けている。大量のインプットから、現実的な部分を抜き出し、ちょっと無理した所に落ち着ける。そんなスタイルが多い。

大量のインプットがある中で仕事を創造していくというやり方は、なんとなく身についてきた気がするが、そういうやり方をしている人は周りに(オンラインに)結構いるので、同じ生き方しててもなんだかなぁとさっき思ってしまった。それも、突き詰めた所まで行けば僕なんて全然叶わないし、それを突き詰めようとも思っていないのが僕らしさなんだろうと思うのだけれど、じゃぁそこで新しいことを始められないかな?という余裕みたいなものを発露させられるようになったのは最近の変化な気がする。
そこでオフラインだ。
僕が持っている時間の中で、オフラインの時間をきちんと設けようかなと思っている。
緊急の電話連絡だけは受け付けるとして、インターネットと携帯通信をオフにするのだ。
一日1時間から始めて、年内に4時間くらいまで持っていけないだろうか。
持て余すほどのインプットを、何かを構築する為の時間に注ぎ込む、それを明確にした時間を作るのだ。

オンラインになってると、TwitterとFacebookをつい見てしまうし、RSSリーダーの数字が気になってしまう。
新しいインプットはそれは素晴らしいことだが、今すぐじゃなくても良い事なんて腐るほどあるのだ。
今までは、その多量のインプットの中でそれを享受し、どう生きていくかを模索してきたが、それも一段落したと思う。
そろそろ次のステップ。

なぜそういう事を考えるかというと、一つ理由がある。
僕が考える企画やアイデアの源泉は、オフラインの時間にふと降りてくる事が多いのだ。
ジョギングをしている最中だったり、最も多いのは朝シャワーを浴びている時に、シャワー口からアイデアの神様は直接脳天に降り注ぐ。
それは両方共オフラインという意味では共通している。ジョギングはiPhone持っていくので完全なオフラインとは言えないのだが、シャワーを考えれば完全にオフラインな自分と言えるだろう。
今年はそこに賭けてみようかなと、沖縄行きの飛行機の中で思ったという訳だ。
要は、飛行機の中って、目が冴えている時間としてのオフラインタイムとして、僕の中で一番長い部類なので、それをどうやって活かそうかなと考えていたら、Instapaperに入れた記事をiPhoneを機内モードにして読みふけるよりは、頭を動かして、メモ帳にアイデアを書きなぐるような、そんな時間の使い方のほうが残るものがありそうだなっていうそんな話です。
一日のオフラインタイムを伸ばした結果がどこかに繋がるような事があればまた報告したいなと思います。

ライフハックというのは、いきなり突拍子も無い事を始めるような類のものではなく、きっと自分の延長線上にもあるんだと思う。
今の自分をハックし、新しい世界へ飛んでいきたいなというのは、誰もが思うことなのだろうが、自分を見つめ直したり、足元を見つめたりという事は、意外と近道なんじゃないのということは「灯台下暗し」という言葉が生み出されているのを見るかぎり、今も昔も変わらないのだろう。それはきっと未来であってもだ。

おすすめ記事一覧

 - 雑感