ウケるサイエンスとウケないサイエンス
someoneで色んな記事を書いてWebにリリースするように変更をかけたのは今年の4月からだ。
かれこれ4ヶ月半が経つ。
大学教授の元へ取材に行って、聞いてきた話。大学のプレスリリースを元に構成する記事。Webで話題になっている話をピックアップする記事。と、多種多様なサイエンスについて取り上げている。
そこで気付いたことは、ウケるサイエンスとウケないサイエンスがあるということと、それは書き手に依存するということだ。
サイエンスのハードルは高い
普通の人は、難しいことをわざわざ理解しようとはしない。何しろ忙しいのだ。仕事に、遊びに、ネットならソーシャルメディア、スマートフォンの普及でますます暇がなくなっていく。そんな昨今である。
自分の興味の無いことであれば尚更。見向きもしようとしないのが普通の人だと思う。
ウケないサイエンスというのは、身近にも無ければ、想像しがたいものだと言える。その人に取っては全くの暗闇状態な世界で、わざわざ手を広げ、何かに伝って光を目指すというのは、なかなかに冒険心が必要なのだ。
ウケるサイエンスとはなんだろうか
これには2つある気がしている。
一つは、宇宙ネタだ。かつての未来といえば宇宙だったからだろうか。NASAと聞いて知らない人はいないだろうし、スペースシャトルの打ち上げがあるよと言えば、それは想像できる。なんとなく脳内に世界があるからなんじゃないだろうか。とっつきやすいのだ。
そしてもうひとつは、自分に置き換えられるものだ。人の感覚に関するサイエンスは分かりやすい。そして、全く想像がつかないようなものであっても、興味がわきやすいのだ。身近なことに置き換えられる。自分に置き換えて考えられる。
これらのものがここ数カ月でPV数を稼いだものだと言える。
ウケるサイエンスにするという考え方
じゃあ、そのように置き換えられないサイエンスは面白く無いのか。というと、それはまた違う。そこには研究者それぞれに面白さがあり、熱中する理由がある。その面白さとはどこにあるのかというのが、僕の大きなテーマだ。
何もかもが、誰もの関心を集めるとは思わない。ただ、人に刺さる表現というものはあるのだ。
じゃあ、Webで表現するならどういう形が良いのだろうか。
そういうことを最近考えている。