時間が無い問題について考える

   

一日24時間。これは地球上で生きる人類にとって、変えることの出来ない決まりのようなものだ。

「時間が無い・・・」

これはなにも仕事に追われているから出る言葉な訳じゃない。いろんな人にとって、当たり前のように口に出てくる言葉になりつつあるのだろうと、そんな事をふと思ったのだ。

一生を使っても消費しきれない世界でも触れたが、もう既に人間一人の持ち時間で楽しむことの出来るコンテンツは限られているのだ。生まれた瞬間から、自分は何かを選び取らざるを得なくなっていると言える。この一生という短い時間の中で出来ることの選択肢は多岐にわたり、それらを全てやりつくすことは実質不可能だということは明らかなのだ。

時間が無いというのは、誰にとっても当然のことなのである。

時間を作る

そんな人生の中で、人類はこの持ち時間を出来るだけ有効活用するために色んな物を開発した。冷蔵庫・洗濯機等はその最たる例か。火おこしにかかる時間なんてものは今や無いに等しい。冷蔵庫があれば生鮮食品をキープしておくことが出来る。毎日出る洗濯物も、洗濯板で時間をかけて洗うなんてことは無くなったのだ。余力が出た我々は、乾燥機という物を開発する。食器や洗濯機を干すという時間をエネルギーで短縮するのだ。

あれやこれやをして、とにかく時間を作ってきた。それでもまだ時間が足りない。

時代が進歩し、自分が触れることのできるコンテンツは、想像以上に増えてしまった。かつてインターネットがなかった時代には出来なかった事が、今や番人に提供される。情報の海は自分で泳ぎ出す事もできるが、明確な指標がない中でさまよってしまうと、ただただ時間を浪費することにもつながりかねない。と、時間の使い方はともかくとして、日本に限って言えば、お店は24時間365日あいているし、本来は皆寝ていた時間も活動することもできるようになった。それが逆に、時間が無いを促進しているような気がしている。

最後のフロンティアはどこだろう

最初から言っているように、「時間が無い」問題はきっと何時まで経っても解決はしない問題だろう。何しろ生まれた瞬間から、時間は足りてないのだ。

ただ、一方でまだ生み出すことの出来る時間はあるなと思っている。

それは所謂、お金持ちはお金で解決出来る部分なのだが、一般の人には手が届かないもの。そう、お手伝いさんがやる領域です。

今人類が解決できていないのは「整理整頓」問題だと僕は思う。食器をしまう、洗濯物をたたむ、散らかった部屋を片付ける。日々の生活でエントロピーが増大していく様を、自分が持つエネルギー(時間)を使って解決しているのが今の人類の限界だ。これを自動化出来た時、人類には更に沢山の時間が生まれるだろう。

RFIDという言葉を最近聞かなくなった気がするが、結局は全ての物を機会が認識し、それをどこに置けばよいかを把握すればよいだけの事である。未来の家は、定期的に家の中がスキャンされ、物の定位置というものが把握されるようになる。定位置も、別に人が手で入力する必要は無い。何となくあの辺にあることが多いよなという事を家が把握し、そこに物を移動しておくのだろう。

洗濯物については、ネット経由で世界中で生まれる衣服の情報が流れてきて、それにあったたたみ方でたたむのだろう。そんなに沢山のパターンは必要無い。きっとたたみ方はパターニング出来るはずだ。仕舞う場所の大きさを鑑みて、機会が適切な大きさにたたもうとするだろう。定期的なスキャンで傷んだ洋服も把握される事になれば、靴下に穴が開いてましたなんてこともなくなる。

整理整頓を解決するだけで結構いろんな事が解決される気がするのだ。

きっとそんな事を実装しようとすると、今はお手伝いさんを雇ったほうが安くなるんだと思う。将来的にずっとそうかというとそうでは無いだろう。その時の人類がどうなっているだろうかって?

当然もっと色んなテクノロジーが発展していて余暇時間を侵し、「時間が無い・・・」と嘆いているだろうね。

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